« 芝を刈りながら汗を拭き拭き思う事 | トップページ | 朝から天体イベント見物 »

2012/05/18

バケツの中の小さな世界



昨年春(に限った話ではないですが…)、私は花粉ゴーグルをして自転車通勤をしていました。
計画停電で信号の消えた交差点を、ゆっくり走る車の流れを見極めながら横断するのはかなり命懸けです。それではという事で次の夜の停電の予定日に私は車で出勤しました。暖かくなってきたとはいえ春の強風吹きすさぶ帰り道、幹線道路はいつものように車のライトだけが光源です。たまに歩く人の懐中LED電灯が小さく目を射ます。自転車は無灯火ではなくとも自動車がその後ろから来ていると逆光でシルエットでしか見えません。裏道では車が少なく、月明かりや遠くのマンションの非常灯の明かり程度で、かえっって人や自転車は見えやすいのです。「これは車の方が怖いぞ」幹線を行く車もおっかなびっくり通りすぎていく理由が分かります。普段は動いている信号が消えている交差点は、もともと信号も外灯も何もない所よりも数倍恐怖です。
恐る恐る車の切れ目を窺う私。ゆっくり通過する車。車間が微妙になり横断する隙間が判断しにくい幹線の車列。とある車がライトで合図してくれて、こちらは行こうとするが、反対車線の車は速度は落としても止まらずに通り過ぎるので行けない。譲り合って事故になるパターンが頭に浮かび、こうなるといよいよ行けない。さあどうする。

こんな非日常的なストレスで時間ばかりかかって帰ると自転車の数割増しで疲れます。ガソリンはなかなか買えないし今度は歩きにしようなどと考えたり、別ルートを考えたり。施術の際に雑談になると停電対策や通勤の恐怖体験の話になりがちでした。

その後、計画停電は無くなりましたが夏場の節電が喫緊の課題でした。そんな中、うちを利用してくださっているさる新聞配達員の方からこんな話を聞きました。要約するとこんな感じです。
『とある配達先の新聞受けに至るアプローチに、石のつくばいのような瓶があり、覗くと中でメダカが泳いでいた。早朝から明るい季節になってそれに気付いた。その後、発泡スチロール箱が出ていて、その中には孵化したての稚魚がいた。その後さらに発泡スチロール箱が増えていて、孵化の時期の違う稚魚が泳いでいる。たまに覗くたびにメダカが育って大きくなっていくのが分かる。世間は大変だが仕事中にふっと癒される瞬間である。』

なるほどこれだ。皆癒される必要があるのだ。一番癒される必要があるのは被災地の方々だろうが、国民皆トラウマになりそうな災害を経験して疲弊している。小さな命に元気をもらうというのもアリだ。うちでも何か飼おう。猫でも小鳥でも爬虫類でもいいが、そういうことなら(どういうことだ)メダカだろう。…と、いうわけで、うちでは昨年夏頃からメダカを飼い始めたのでした。(前置き長っ)


私の主義として、何でも人工的な介入は最低限にしたいし、自然の流れに逆らわない方が物事うまくいく。というのがあります。横車を押すように無理を通している人間社会、道理が引っ込むのも道理です。しかしここでは細胞の核や原子の核をいじったりして美味しい思いをしようなんて愚だ!とか、ブラックボックスは見えない(触れない)事に意味があるのだから、技術の進歩に物を言わせてアフリカの奥地から普段なら人と交わる事のあり得ないウイルスをつついて引っ張り出したり,人や動物の遺伝子情報を覗き見して虫の良い事を考えたり
地上には滅多に存在しない同位体を作り出して質量の差額をエネルギーとしてピンハネしようとしたり,ソースが見えないOSを勝手にバージョンアップして勝手にサポートを終わらせて新機種を買わせようとしたり(これは違うか),…とかはするべきではない! などと極端な主張を述べる事は控えておきます(述べてるだろ!長いし)。
先般書いた土壌の細菌叢を腸内細菌叢に喩えてこじつけたように、自然の流れを助ける程度の介入はよしとします。

さあメダカです。メダカは魚で水の中にいます。つまりメダカの宇宙は水です。しかし水は水面で空気と接していてものの行き来があります。水中に自然に野良バクテリアが供給されるのは空気の流れがあるからでしょう。彼ら(数種の)が水中の生き物の排泄物などをうまく循環させてくれる見えない名脇役たちです。
藻類や植物性プランクトンや動物性プランクトンもひっくるめてうまく循環が行われると、1~2年くらいはほとんど何もしなくとも(水替えはおろか餌すら与えなくても)水はつややかに輝き生き物は元気で、メダカのバケツを眺める度に「なんというミラクルな小宇宙だろう」という感銘を覚えます。

ところが、生き物は元気だと自然に増えます(朱鷺とか、現代の先進国の人類とかは除く)

メダカもヌマエビもタニシもピンクラムズホーンも数種の水草浮き草に至るまで、増えて増えて増えまくります。もっと大きな世界にして、天敵と共存させられれば良いのですが、そうすると今度は天敵の世界(天敵の天敵)も完成させる必要が生まれて、結局人間以外の地域の動植物全てを押し込む必要が出てきます。そんな事は大きな公園でだって出来る事ではないですし、そんな事ならば田舎の山林をただ放置して、雨も風も落雷や山火事も放置の原始環境を作らなくてはなりません。それでは飼育になりません。そもそも飼育とは人工的な介入であり、保護とは生き物を天然自然の理から切り離す行為なのです。その事を忘れてはなりません。

秋も深まる頃には小分けにした水槽(バケツやプラ鉢)が6つになり、4つは屋内で、2つは屋外で死滅覚悟で越冬しました。
室内組の水草と浮き草のうち数種が一部枯れて腐りました。エビは個体数が減り、タニシは大きい個体が☆になりました。メダカは生きていますが、グリーンウォーターがブラウンウォーターになりかかっています(放置しすぎ)。
屋外越冬組は生き物の気配がありません。水草は全て枯れ、水も濁ったままです。強風が運んだ土埃が水面に浮き、まるごと捨てて入れ替えたい欲求に駆られます。

さて5月です。
保険のために室内で保護した(つもりの)水槽は、汚れが著しい為
生き物たちを一旦待避させ、やや大規模に水替えし、先ずバクテリアが増えるのを待ちます。メダカは数匹減っていました。容積に対して個体数が増え過ぎると避けられない運命です。従容として受け入れるしかありません。
GWも開け、冬場に霜にやられて枯れた(ように見えた)屋外放置のレモンバーベナの茎に緑の新芽が遅い芽吹きを見せる頃、外のバケツの中が生き返りました。一つ素焼きの鉢が3月に凍結で割れてしまったのが残念でしたが、水温が上がって少しずつ餌をやるとプラバケツの水面ではメダカ達が生き生きと餌を奪い合っています。エビは上がり下がりしながら何か食べていますし、貝達は腐った水草を食べているようです。それぞれ個体数はやや減っているようです。しかし
屋外越冬組のメダカは少数派だったせいか、冬眠時から数が減っていません。
増えすぎれば減り、少ないとそれ以上減らない。時期が来ればまた増え出すでしょう。

それにしてもなんというミラクルな小宇宙でしょう。かなり不完全ですが、このバケツを眺めていると私達の世界の極端な縮図なのかなと思えてきます。汚くたって凍ったって、ビオトープの中の生き物が特定の種類にせよ全部にせよ、絶滅させるような極端な事(餌のやり過ぎとか水の替えすぎとか放射性物質や環境ホルモンの大量投入とか)さえしなければ、つまり余計な事をし過ぎずに必要最小限手助けしてやれば、あとは過保護にしようが放置しようがなるようになるのです。
幼少期、農地の端に捨てられたドラム缶に溜まった雨水の中で、誰が放したのかメダカが天敵のヤゴや餌になるボウフラと一緒に泳いでいるのを目にした時、なんという劣悪な環境だろう、もうすこしかわいがってあげればいいのに・・・などと感じた時代も私にはありました。しかし今は、それこそ天然のビオトープであり、地上の縮図であると感じます。私にとって世界観や死生観を膨らませてくれたのは常に自然界の姿でした。(ここは格好つけて書いています^^;)


そうは言いながらも室内に置くプラ水槽は、砂利を洗ってみたり水草を剪定してみたり産んだ卵を隔離保護してみたりと、ついつい余計なお世話をしてしまうのですけれどもね…。(^^;)


自律神経は乱れますが、春は一般的に良い季節です。すごく身近の足下とかに癒しの元が芽吹いているかも知れませんよ。
急な雨や突風,落雷,竜巻にはくれぐれも気をつけつつ、散歩など如何でしょうか。



ランキング投票! 人気blogランキング

|

« 芝を刈りながら汗を拭き拭き思う事 | トップページ | 朝から天体イベント見物 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 芝を刈りながら汗を拭き拭き思う事 | トップページ | 朝から天体イベント見物 »