« 2019年 お盆のお休みについて | トップページ | 首を”ついで”や”おまけ”でいじられる怖さ »

2019/07/29

昨今の社会を眺めて思うこと



国際情勢しかり、国内でも新聞を読むのが嫌になるような事件が定期的にあったりする昨今
今の時代だからというわけではないはずですし、戦時中などと比べれば(一面的には)ずっと平和なのでしょうけれど。

様々な分野で研究やが進み、私達も色々な事をよく知るようになりました。
技術も進み、昔だったらなすすべのない出来事にも対処できるようになって、先進国ではより安心安全な社会が実現しているのだと思います。

医療技術も進んで、不幸な死が遠ざかった感のある現代
しかし生きながらえる事が経済的リスクになってしまったり、少子高齢化が進んで、このままでは先進国は死ぬに死ねないゾンビの群れと化してしまうのではないかと心配にすらなります。

夏目漱石の『吾輩は猫である』に、人は死ねなくなる時代が来るという話が出てきて、自殺願望のある人は門口へ張札をしておくと巡査が回ってきて取り計らってくれるという、現代を予見しているのではないかといった内容がありますが、夏目漱石恐るべし
先進国がこんななのに、元気があるのはこれまで貧しく不自由だったアジアアフリカ地域の人口増大で、地球は2011年段階で70億人を突破し、温暖化や気候変動と相俟って、このままでは食糧難になる、蛋白源は昆虫になって昆虫食の時代が来るという見方もあります。


今と比べて何かと不便で不自由な昔は、人は病気や飢饉,天災,戦争などで増えては減りを繰り返してきました。
不幸な出来事を避ける為に工夫し、治水や環境整備を進め、衛生状態は良くなり、今の安定的な社会が(一部で)実現しました。
炊事や洗濯で一日が終わる女性の役割は、便利な技術のお陰で様変わりし、社会進出が可能になりました。

親はあっても子は育つといった逆説的な皮肉がありますが、便利な環境でいわば簡便に育てられた世代が親となって子育てをしているわけで、昔のような家の制度が幸福だとは思いませんが、個人の自由と権利を追求するあまり、社会全体の幸福度を下げている感があります。
なんでも手に入る社会で、食べることに困ったり命を脅かされる心配がなくなった分、何か根源的な欲求不満をかこっているのが現代の人なのではないかと。

健康について言えば、私は以前は「ピンピンコロリ」な生き方が理想だと思っていました。
ですが、老いてなお若くピンピン活動していて、ある時突然身体が動かなくなって死を迎えるとしたら、本人にとってその落差を果たして受け入れられるものでしょうか。
一病息災という言葉があります。
身体の不具合や病気などは避けたいものではありますが、来たるべき老いや死といった避けられない運命を受け入れる為の心のトレーニングといった側面を、私はここ数年で意識するようになりました。

公衆衛生の向上で腐敗や不潔なものを遠ざけ、最先端医療の恩恵で死が遠くなりましたが、いくら抗っても老化や死はいずれ訪れます。
アンチエイジングもQOL向上も、度が過ぎれば欲求に対する不満度を高めるばかりなのではないか・・・
お金を払いさえすれば、横車を押すようなわがままがまかり通るような時代には、こらえ性の無い、避けられない運命を従容として受け入れるような心構えのない人ばかりが社会を構成しているとしたら、それが果たして人類の未来のためになるのだろうか・・・
人の生きものとしての健全性とは、運命に抗う技術を発展させることばかりでは取り戻せないと感じます。


頸椎調整で身体の不具合が良くなった人は、栄養面や日常の活動などいろいろな角度から健康を考えるようになります。
私も「首が全てです」のような極論が嫌いですから、積極的に意識の視野を広げてもらうように心がけています。
不具合や不安,恐怖を経験した人であればこその気づきが重要だと感じるからです。







blogランキング
 blogランキングに参加しています

|

« 2019年 お盆のお休みについて | トップページ | 首を”ついで”や”おまけ”でいじられる怖さ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 2019年 お盆のお休みについて | トップページ | 首を”ついで”や”おまけ”でいじられる怖さ »